週末の予定がリスケ&リスケでなくなってしまった。
急に時間が空いたし、11/1はド平日だから今のうちに断服式をやってしまおう!ということで冬の断服式をしました。
手放した服
・ネイビーのVネックニット
・白いモックネックニット
・黒いモックネックニット
・緑のニット
・ベージュのステンカラーコート
・部屋着として使ってたショートパンツ
・黒いダウン
・古着で買ったウールコート
モックネック大好き人間。あと昨年躊躇して残した服たちがけっこうある。これまで捨てちゃったら着る服なくなりそう!と思ってしまって。今回あらためて着てみて、このシーズン着るかな?今の気分かな?って考えてみたら、もういいかと思えたのでようやく今年さよならするぞ!今までありがとう!
気づいたこと
①半分くらいユニクロで買った服だった。
②晴れた日の昼間にやると、自然光の中でチェックできていいな。
③状態が悪くなってるは手放す理由になる。
①ユニクロの服
知らないうちに増殖してる。一時期ユニクロばっかり行ってるときがあって、その名残なんだろうな。
②断服式のタイミング
自然光 is 最高
③手放す理由
これが今回一番の気付きだった。
もういいかなと思った中で、さらに大きな理由としてシンプルに状態が悪くなっていて着れないなというものがあった。
色が変わっていたり、穴があいてたり毛玉が取りきれないレベルで付いてたり…しまっておくだけでこんなふうにならなくない…?もしかしたら昨年からこの状態だったのかもしれないと思うと恐ろしい…
たぶん昨年は自問自答の講座を受講しておきながら、「服として着れる・着れない」でしか判断できなかったんだと思う。この服たちが物理的に着られないのか?といったらまだまだ着られるもんね〜
この「状態としては良くないし気に入ってるわけでもないけど、モノとしての機能的にはまだ使えるから捨てられない」現象が長いことあった。その精神でここまで来たんだな〜 でもこれ、元々の気質じゃなくて刷り込みだなって思い出した。
子供の頃、親によく「片付けしろ」て言われてたけど、もう使わないものを捨てようとすると「まだ使える」と言われてた。いやどっちだよ。今となっては親の言い分もわかるところもあるんだけども。狭い家で 収集癖 × 片付けできない っていうのはなかなか共同生活に支障あるタイプだよね、それはわかる。
本っ当〜〜にボロボロでモノとして機能しないためやむを得ず、くらいまで使い込まないと捨てることが許されなかった。それを内在化しちゃっただけ。
「モノを大切に」ということを時間軸でしか見てなかった。期間として長く持ち続けているから大切にできてる!というと、そういうわけじゃないよな。扱いが雑でボロボロになってても、何年も使ってるから大切にしてるか?というと、そういう考え方もあるかもしれないけど、今の気分ではないな〜
コンセプトがボヤ〜っとしてて解像度が粗アラなんだけど、なりたいイメージの中にいつでも新品の服を着ている人が入ってるわけではない。でも、ボロボロの格好をしてる人も入ってない。
そっか、衣服として着れても状態の悪くなってる服は手放してよかったんだ。
「ボロボロの服は着なくていいんです!」
↑あきやさんの「買わなくていいんです!」をイメージ
これを唱えながら試着に行くと、本当に試着だけして帰ってこれるので毎度唱えるようにしています。