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にっき

「一年3セットの服で生きる」を読み直し

「一年3セットの服で生きる」を久しぶりに読み直している。

 

カバー下がこんなにかわいいなんて知らなかった!

 

 

この1年くらい、私はファッション的になんも成長してないな〜と自問自答ガールズのTLやnoteを薄目で見てた。

でもやっぱり別の部分では何かしらは成長してるのか、前に読んだ時よりも理解が深まってるような、以前とは別角度で刺さってるような…単に内容をすっかり忘れてて再び感動してる説もある笑

 

 

「服に迷わなくなると、時間・お金・スペースの節約になる」

前に読んだ時はこの意味が理解できたようで、実はあまりよく分かってなかったんだと思う。

選び抜いた服を着ようっていったって、こういうパターンの日もあれば、別のパターンの日もあるじゃない。毎日いろいろ違うのに結局どうやって選ぶの?と思ってた。

今までは外の出来事があって、それに対して自分の出方を決めるってしてたんだなって。

革靴を履こうと思ってたけど、雨が降ったからレインシューズにする、みたいな。いや、コレ自体は別にOKなんだろうけど、雨だから…に限らずすべてにおいてこれになってるかんじ。

職場で浮くから、嫌われないように、年齢的に、この場でのキャラ的に…

って全部ぜーーんぶ自分起点じゃなくて、外の状態がこうだから、それを受けて自分はこうするって単なる反応でしかない。そりゃ病むわ。だって私がこういう人がステキだなーと思ってますって講座であげた人たち、みんな反応の人じゃないもん。ゴリゴリに己が道を行くの人たちじゃん。思ってることとやってること全然違ってた〜〜〜

反応するのをやめて、外がどうとかじゃなくて、自分起点で考えようってことなんだね。あーーなんか全部これな気がする。

 

口では理想を言いながら、なんでこんなことになっちゃったのかなーって考えると、人と違うことが良しとされなかったからなんだろうなぁ。。口ではいいじゃないと言いながらも、本心ではそう思ってないこと伝わってるからね…でももうこんなもの、内在化する必要ないから捨てていきたい。子供の頃の呪いは強力だなぁ

 

あとは「選ぶ」という言葉に無駄な重さを付けてたかもしれない。

選ぶっていうと、私には「他の選択肢を切り捨てること」というふうに感じられるんだけど、今読み直したら、別にそこまでは言ってないよね…?

取り返しがつかない、もう戻れない→なるべく選びたくない…と思ってたけど、選ばない=次の機会にも選んじゃダメではない。

選んでみて、やっぱ違ったなーと思ったら戻ってOKなんだよな…なぜ私は無駄に退路を経とうとしていたんだ…?

こういうところにムダな完璧主義があるね…